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執筆者の写真真幸 若山

四月八日は「花まつり」

毎年四月八日はお釈迦様の誕生日です。

世間では「花まつり」といい、宗派問わず全国各地のお寺さん、またその他の場所でもお釈迦様の徳を讃える様々な行事が行われております。


お釈迦様の誕生には様々な不思議なお話が伝えられています。史実というよりは伝説的な話ですがお釈迦様なら有り得るのではと思いたくもあります。それらの話は仏の徳がいかなるものかを伝えた話であります。

お釈迦様は摩耶夫人(まやふじん)の右脇から産まれて七歩歩き「天上天下唯我独尊・三界皆苦吾当安此」と話されたと伝えられています。

右手というのは清浄・聖なるものを意味していて右手の付け根、右脇は性への清浄性をあらわしています。


七歩というのは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の苦、修羅・人間・天の三善道の楽、この六道(六つの心の世界)の一つの世界を一歩とし、成仏にいたるために修行し六道輪廻の旅を終えて苦楽の世界から七つめの世界・仏の世界に入り、成仏したことを七歩歩くことであらわしています。


「天上天下唯我独尊・三界皆苦吾当安此」とは、この世界(全宇宙)で我(わたし)がただ一人尊い、この世界は苦しみに溢れているが吾(わたし)がこれを安んずるであろう、という意味になります。

天上天下唯我独尊、この世で自分が一番偉いんだ、と勘違いして使われる方がいらっしゃいますが、お釈迦様はそんなことは言っておりません。私たちの心には仏になるための仏性が誰にでも内在されております。この仏性が心の中から外にあらわれた状態が仏であります。ですので、天上天下唯我独尊は私たち一人一人にも言えることで皆がこの世において尊い存在であるわけです。そして、三界皆苦吾当安此、お釈迦様の慈悲の心を言葉にあらわしたものですが、私たち一人一人がお釈迦様と同じようにこの世の安寧を願い日々の生活においてつとめなければ誰にとっても平和、という世の中は実現できないのであります。


佛(仏)とは人偏に弗と書きますが、人偏は人をあらわし弗には否定という意味があり「人間では非ざるもの」となります。

私たち人間は不完全な存在でお互いに助け合いながら生きております。仏様は遠い世界にいる存在のようでもありますが、自分に足りないものを他から学び人生の修行に精進する、そして完成された人間が仏といえるのかなと思います。


四月八日には「花まつり」という言葉を見たり聞いたりするかと思いますが、コロナ禍でも様々な行事、イベント等が催されていると思います。少しのぞいてみると新しい発見があるかもしれません。合掌




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